大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

助動詞・ヤ、の成立時期の推定

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飛騨方言の指定の助動詞の特徴は何々「や」の言い回しです。共通語の「です・ます」調も、何々「だ」も用いません。飛騨方言は上方方言り形動です。

ところで形容動詞に、ナリ活用・タリ活用、の二種類があります。古語辞典では共に竹取物語あたりから、平安初期です。全文中、ナリ活用・タリ活用、が幾つ出で来るか、今 Mozilla を用いて延べ使用頻度を数えてみたら共に五十前後でした。竹取物語では両語の頻度は互角でした。

小生は国文学は専門外なのでよくは知らなく、つい先ほどの三省堂新明解古語辞典の拾い読みですが、ナリ活用・タリ活用の両者ともに江戸時代まで、全社は口語で後者は文語でよく用いられて来たのでしょう。 そして江戸時代に江戸で使用されるようになったのが、指定の助動詞「だ」、及びそれの尊敬丁寧語「です」という次第です。 もっとも尊敬丁寧語「です」の語源ですが、一説に「でそうろう」あるいは遊女のことば「でえす」「でんす」等々、諸説あるようですが、全て正しい可能性もありましょう。

つまりは江戸時代に江戸では新しい指定の助動詞「だ・です」が生まれ、口語文の形動ナリが消滅、江戸は上方とはがらりと違った言葉遣いになり、共通語のルーツになった、という事のようです。

さて竹取物語の昔も今も、江戸も大阪も、連体形は「〜な」を用いていますので飛騨方言とて同じ、昔も今も連体形「〜な」を用いていた事は疑うべくもありません。でも飛騨方言では助動詞「だ・です」を用いません。さて上方言と文法が同じの飛騨方言ですが、上代・中世において連体形以外は何を使っていたのでしょう。以下大胆な仮説はまとめに。
まとめ
▼室町あたりの飛騨方言はナリ・ジャだったでしょう。 ▼やがてタリがヤに置き換わり、ナリ・ヤ・ジャになった可能性があるでしょう。 ▼やがてナリも消滅するが、ただし現在も連体形に生きています。 ▼江戸ことば「だ・です」が飛騨に流入しなかった事実は関所政策によるでしょう。 ▼飛騨でもダ・デス・マスが用いられるのは思うに明治以降でしょう。 ▼平成の世に既に消滅しつつあるジャ、いずれヤも消滅するでしょう。

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